今回は3部作でブログを書かせてもらおうかと思います。スタッフのTです。
第一回は「経験を積むということ」私の人生の変遷の中で選択、決断が何度もありました。
誰しもが経験する中でどう仕事や生き方をチョイスしていくかなど、一人のモデルを通して感じてもらえたらなと思いさらけ出します(; ・`д・´)
第二回は「働くということ」これは本当に個人の価値観で書きますので「フ~ン、Tはそうなんだ」程度に読んでください。でも、働いたことがない方にとっては何かしら役に立つ内容にしたいなと思ってます。
第三回は「転職のタイミング」なんてタイトルで書きます。まあ、キャリアの積み重ねや方向転換など明日のことは誰にも分りませんし人生様々ですからね。これも一つの考え方と思って読んでください。
前置きが長くなりましたがTの自己満三部作のぉ~はじまり~はじまり~<(_ _)>
みなさんは学生時代をどう過ごしましたか?
な~んてざっくりした質問されても困りますよね!
わたくしTの場合、友人関係は広く浅くタイプで色々なグループに(^^)/出していました笑
結構なお調子者だと認識されていたと思います。
運動は野球とサッカーをしていました。Jリーグ開幕のタイミングで思春期真っただ中でした。結局ミーハーですよね(あ、死語かも・・・)だいたいの年齢バレちゃうね笑
あまり勉強は得意ではなかったです。友達と遊ぶ才能だけはありました。とりあえず、人を笑わしたい。周りを笑顔にできたらTの勝ちです笑
以来、性格は変わっておりません。中身は中学生当時のままです。人間そう簡単に変わりません笑
人と話すのが得意だとか面白い人だって自覚は当時ありませんでしたね。周りから少しずつ言われ(評価され)最初は「まさか~p(*´Д`)ポリポリ」なんて笑っていますが、あれあれ?あいつは「Tくん吉本行けよ~」なんて言うし、あの子は「Tやばい笑」なんて大笑いしてくれるし、先生から「T!文化祭の映画の主役お前ね」なんてことも言ってるし・・・こんな俺にこんな才能があったにょ??(;・∀・)こんな感じでうすうす気づいていきました。
時代は過ぎて社会人編
高校と専門学校は建築を学ぶため足しげく通いました。もちろん友達と遊ぶためです笑
どうにかこうにか設計事務所に入社できまして(若かりし20歳そこそこ)やっぱり社会の壁に打ちのめされましたね。なんたって友達を笑わすためだけに貴重な学生時代を費やしていましたから。入社にてすぐに辞めたくなりました((+_+))
朝から晩まで(当時は終電ギリギリで帰るなんてこともしばしば)仕事。仕事。
友達でミュージシャン目指している仲間に会いに休みの日に路上ライブ見に行ったりしながら「俺ってこのままでいいのかな~」「まだまだやれることあるんじゃないか~」なんて心の中で臆病な自分と対話しながらキラキラ輝いている友人を見ていたことを今でも覚えています。恵まれていたのは自分がしたいことに親が反対しないでいてくれたことですね。
まあ、飽き性なのは自分も親も分かっていたので「本当にできるの?」とか「自分で決めたことなんだから最後までやりきれ!」など叱咤激励を喰らいましたが・・・まあ。親心ですかね。なんて色々遠回りしましたが設計事務所は上司の温かな説得もあり3年続きました。
さあ、ここから大航海時代突入です!笑
なんだかんだ役者時代編
もっともっと自分にはやれることがある!!と息を巻いて会社辞めたはいいが、親にも話してないし社長に勢いで「おれ、役者目指します!」なんて言って即日クビになったもののどうやって役者になるの??(; ・`д・´)まったく知識もないままでとりあえず本屋さんへ。
「月刊 アクター」みたいなのをパラパラめくりながら端から端までみると俳優養成所なるものが目に飛び込んできた。「フムフム、なるほどね~。学習塾みたいなシステムね~」なんてド素人が得意げに当時のパカパカ携帯を片手に電話してみると「体験できますよ~」と優しく事務のお姉さんが教えてくれました。「じゃあ、ぴくヨロ!」と軽快に予約をとりいざ、会場に行くと重々しい雰囲気でジャージ姿の男女が踊ったり泣いたり叫んだり。
「え?宗教??」本当に思っちゃいました笑。何も知らない人が見るとそう見えると思います。講師の先生方は俳優の卵たちからしたら「絶対的存在」でしたしね。
まあ、7~8年の役者生活の内容は飛ばします。すったもんだがありました笑
こんなことが言いたいんじゃないんですよ!その時にしていたアルバイトの話です。
前置き長いのはTの長所?短所??笑。まあ、どちらでもいいですが飲食店に7~8年勤めてました。なんで選んだかって?ん~~覚えてない笑
おい!サポステのスタッフ。一番肝心なところ忘れるなし!!なんて声がソヨソヨと聞こえてますね~。ん~いい風。
あ、そうそう。とんかつ屋さんでキッチンやったり、うどん屋さんでホールもキッチンもしたし持ち前の明るさとワードセンスで活躍してました笑。個人店だったので「Tさんテラスの机の塗装が剥げてきたから塗ってくんない?」「業者呼ぶと高くつくから看板の電球交換できる?」など建築の経験が生きてました。これ、実話です。
あ、もちろん俳優業でも役立ちました。舞台装置を作るため事前にイメージを持ちたいということで専門学校時代に作っていた建築模型を舞台に応用してそこだけ大活躍でした。演技はからっきしセンスないない笑
人生真剣に考え始めた編
そんなこんなで「こんな年だし~親も年だし~あなたしかいないし~♪」なんてらららと人生を謳歌してましたが、そんなのらりくらりはいつまでもできないですよね。
ご多分に漏れず、「あんた将来ちゃんと考えてるの?」と定期的な母からのお告げ笑
大学で勉強し直そうと一念発起で大学生になりました。Tが30代のときです。そこで一生懸命に勉強する看護師さん、自衛隊の人、役所の相談窓口で働いてる人など様々な人に出会いました。年齢も様々で一番高齢の方は70代の女性も勉強しておりました。本当に人との出会いって大切ですよね。価値観が広がっていくのは何より「経験」と「出会い」だと思います。卒業後は2年ほど知り合いの伝手で建築内装の仕事をしており、現在の若者支援の仕事につながる。まあ、こんな流れでございます。経験したことを生かして、なかなか一歩踏み出させないでいる若者たちに背中を優しく押せたらいいなと思い働いております。
総括
自分で言うのもなんですが行き当たりばったりの生き方です(/ω\)笑
でも、今の仕事は過去の経験が一番生かせる仕事だと日々感じています。調理をする場面もなんだかんだありますし、個人の引っ越し3回、事務所の引っ越し2回経験して大体どのくらいのお金が動くとか何が必要かを先回りして考えることができるようになりました。
元々は計画を立てることに関してはダメダメだったんですけどね。少しずつできることが増えてきています。キャリアの積み方なんて正解はないし、ただ自分の信念の中には「迷ったら手を出せ」「とりあえずやってみよう」は昔からあった気がします。
今、サポステに来ている人や家でこのブログを覗いてるけどまだ一歩踏み出せない人たちへ。近くの人に声を出して「困っている」をぶつけて下さい。真剣に考えてくれる大人たちはたくさんいます。サポステのスタッフもTのように様々なキャリア、成功体験や失敗談持ってると思いますよ!笑 是非、話を聞いてみてください。
長くなりましたが、これにて第一部締めさせていただきます。ご清聴ありがとうございました<(_ _)>